大判例

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福岡高等裁判所 昭和44年(う)324号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

同控訴趣意(事実誤認と法令適用の誤)について。

一、所論は要するに、原判決は「被告人は、米原子力艦艇佐世保寄港阻止闘争に参加するため、昭和四三年一月一六日午前六時四五分着の急行雲仙西海号で、福岡市三社町所在国鉄博多駅に下車したものであるが、同日午前六時五〇分ごろ、いわゆる三派系全学連所属学生約三〇〇名位とともに、同駅南集札口に通ずる南旅客通路に立ち塞がり、シュプレヒコール、演説などを行ない、一般乗降客らの通行を著しく困難ならしめたので、直ちに同駅長野中定次らにおいて、十数回にわたり、同駅構外への退去を要求したが、これに応ぜず、不法に滞留し続けたため、博多鉄道公安室長前田光雄において、被告人らを不退去罪の現行犯として排除しようと決意して、警察官に右排除の協力方を要請し、同日午前七時三六分ごろ、右要請により出動した福岡県警察機動警ら隊勤務巡査片岡照征らにおいて、被告人らを同駅南集札口外へ排除しようとした際、被告人は前記通路において、同巡査の胸部にヘルメットをかぶつたまま頭から突き当り、右足関節部を蹴りつける等の暴行を加え、もつて同巡査の前記職務の執行を妨害したものである。」との公訴事実に対して、無罪の判決をなした。その無罪理由の骨子は、警察機動隊は集札口の強行突破阻止のみを目的として出動したものであるところ、学生らは角材を所持しておらず、乗車料金の精算に応じているから、その時点で強行突破の危険性は消褪し、阻止の必要性の度合も減じたというべきであつて、集札口前に密集し、これを埋める警戒態勢を解かずに維持したことを正当化する根拠は薄弱である。他面、ヘルメットをかぶつているということを除けば、正規の乗降客とさして異るところのない学生が通路に滞留した事実は、前示警備態勢を維持した警備側の作出した事態というべく、学生らが集札口外へ立去らなかつたことをもつて違法状態であるとはいえないから、学生らの不退去による違法状態の成立を前提としてなされた機動隊の圧縮排除は根拠がない。したがつて、右排除行為に従事した片岡巡査の職務執行も適法なものとすることはできない。さらに、被告人の暴行は学生らと機動隊が密集し混乱した中で行われ、被告人と片岡巡査と接触したことは十分窺うことができるが、被告人の所為を暴行と断じ得るかは極めて疑わしいというものである。

しかし、右は証拠の評価及び取捨選択を誤り、事実を誤認し、法律の適用を誤つたものである。すなわち、警察官の本件出動目的は、学生らの集団行動によつて発生が予想される各種の不法事態、とくにデモ、集会等の強行なども予測し、これらに対処するためであつて、単に学生らの料金不払のまま集札口を強行突破することの阻止だけを予想して出動したものではない。しかるに、原判決は出動目的を右の意味の集札口強口突破阻止の範囲に限局し、これを前提として警察官の職務執行の相当性ないし必要性につき誤つた判断をなした。殊に、原判決はこの種集団行動によつて生ずる事態が刻々流動し、事前には的確に予測し難いので、予めこれに即応する警戒配置を必要とすべき警備の本質を理解せず、逆に、事後的な判断によりこれを限定的に解する誤りをおかし、また学生が角材等を所持していないとの情報を得ていたと見得るので、この取締目的で出動したとは到底考えることができないなどと何ら証拠に基づかない憶測をなしているのである。

また、機動隊が南集札口前を埋めていた事実は認められないのに、現場写真等により、右集札口前を埋めていたと認定し、原審における各証人の南集札口が開かれていた趣旨の証言を右写真に照し措信できないとして、これらをすべて排斥している。しかし、右写真のうちには集札口が開かれていることを明らかに示しているものがあり、その他の写真では撮影の角度や遠近感も明らかでなく、単に、両側から奥に向つての撮影であつて、集札口前中央附近の情景は推知できないものである。

少くとも原判決が問題とする時点において、右集札口前は約八メートルにわたり開かれ、機動隊はその両側に並んでいたことは証拠上明らかであり、右機動隊は学生らにおいて惹起する違法状態を制止し、正常な集札に応じさせ、併せて一般利用者への迷惑や妨害を阻止すべく、慎重に警戒態勢を布いていたにすぎない。これに対し、学生集団は下車後、ホームで無許可集会を開き、隊伍を固め、労働歌を高唱して現われ、集札口強行突破の危険性を強く感じさせ、料金を精算した女子学生ら三〇名位も、再び通路階段上に停止せる集団内に復帰し、むしろ正規の集札の方法ではなく、集団的に突破すべき意図を窺わせ、これを一部学生が右集札口より、四〇名位の学生は北集札口より、いずれも平穏に出ていることと対比してみるとき、機動隊の配置による退去の阻害はなく、反面、右の集団的な突破の危険は決して去つたといえるものではない。

次に、機動隊の排除行為は、右学生らがマイクによる駅長らの再三の退去要求を無視し、駅員において退去を求める警告文を記載した掲示板を持ち廻つていたところ、これを奪取し踏みにじつて破壊するなどして、退去しようとせず、かえつてシユプレヒコールや演説を繰り返して、益々気勢を上げ、同駅朝のラッシュ時は刻々接迫し、一層混乱が予想されたので、公安部隊において実力排除にかかつたところ、学生集団は渦巻デモを始め、公安官数名を渦巻デモに巻き込み、全く暴徒化する寸前の険悪な緊迫した違法状態を現出した。そこで、やむなく右集札口外左右に配置されていた第一大隊第一中隊の機動隊員において、同日午前七時三五分ごろ実力規制に移り、右渦巻デモを圧縮して阻止し、学生らを順送りで排除し、違法滞留状態を解消せしめたのである。

右に明らかな如く学生らの行動は、既に不退去罪並びに鉄道営業法違反罪を構成し、更に公安官を渦巻デモに巻き込み、これに対し機動隊の行動は右違法状態を除去し、公安官を救出するための適法な排除行為であつたところ、原判決は右の如き学生集団を正規な乗降客と同質と断定し、通路の滞留は警察の警備の行き過ぎに因るものであつて、「いまだ不退去の違法状態を成立せしめない」と判断し、学生らの滞留を正当とすると共に、片岡巡査を含む機動隊の行動を不適法としているが、明らかに事実を誤認し、その職務執行の適法性についての判断を誤つている。

更に、被告人の片岡巡査に対する暴行の事実についても、証拠上明らかであるに拘らず、原判決は被告人が片岡巡査と接触したことは十分窺うことができるが、右は暴行とは断じ難いとなした。その理由とするところは、暴行の事実に副う目撃証言はあるが、他面、密集し混乱した中で走り寄つて頭突きをするだけの空間的余裕はなく、片岡巡査に頭突きをするのは不自然である。殊に、手出しをすれば逮捕され、目的地の佐世保に行けなくなる。また、被告人は逮捕時に「俺はやつていない」と叫び続けた事実等に照し、措信できないというのである。しかし、前記目撃証言により、被告人の暴行の事実は明瞭であり、他面、原判決の挙示する写真は犯行時における空間的状況の資料とするに不適切であり、逆に一部の写真は空間的余裕があつたことを示しており、その他の排斥理由は無意味な論拠であつて、右の目撃証言を排斥するに足るものではない。

以上のとおり、原判決は三派系全学連の動向、これに対する警備の実態及び被告人の所為等に対する証拠の評価を誤り、独自の推論を重ねて事実を誤認し、片岡巡査ら警察官の職務執行の適法性の判断を誤り、到底破棄を免れないというにある。

二、よつて、所論にかんがみ本件記録、原審及び当審取調べの証拠により(以下特に掲記しない限りこれらの証拠による)検討する。

原判決が前記公訴事実に対し、片岡巡査の職務執行の適法性を否定し、且つ被告人の暴行の事実も認め得ないとして、無罪の言渡をなしたことは所論のとおりである。尤も、原判決は暴行の点につき、接触という包括的概念を用い、「接触は認められるが、暴行と断じ得るか構成要件該当性は極めて疑わしい」として、後記((二))説示のとおり若干あいまいであるが、しかし、暴行の事実(訴因にいう頭突き足蹴りの事実)の証明ができないという趣旨と解される。また、原判決は暴行による公務執行妨害を審判の対象とする本件において、職務行為の適法性の有無を先づ判断し、次に暴行の有無を判断しているが、適用過程の判断順序に従えば、解釈論の展開順序と異り、暴行の存否を判断し、暴行を是認し得た場合に、職務執行の適否を判断するのが論理的であつて、根本において解釈過程と適用過程の構造的相違を無視する嫌いがないでもない。しかし、便宜上原審の判決記述の順序に従つて、これが検討をなすこととする。

(二)、そこで、片岡巡査の職務執行の適法性の有無を検討してみるに、

片岡巡査が本件学生集団に対する前記排除行為に従事していたことは原判決の示すとおりである。ところで、原判決は右排除行為の前提事実として、学生らが南旅客通路から南集札口前の階段上に現われた途端、南集札口外に待機していた機動隊は右集札口に並び、一時は中央附近を開いていたが、次第にこれを埋め、かなりの層の厚さで該集札口を埋めるに至つたと認定し、右階段上で停止した学生集団のうち三〇数名が料金精算を行なうまでの段階における警備配置については、学生らの不穏な行動についての情報からみて、とやかく言うことはできないとして、これを相当であるとしながら、右の如く料金精算を行なつた者がいることは、学生らに集札口を突破しようとする意図のないことを示したものと見られるから、その時点以降、機動隊が依然として右集札口を埋めるような警戒態勢を解かずに維持していたことは根拠がないとするのである。

よつて先ず、本件現場たる博多駅南集札口附近の状況をみるに、原審検証調書及び当審検証の結果によれば、南集札口の出入口の幅員は一二、一五メートルであり、右出入口の外側、左右のかどの外壁から左三、七メートル、右約三メートル離れた位置に軒を支える角柱(一辺〇、九メートル)が約九メートル間隔で立ち、右集札口の内側は右出入口から一一、三五メートル進んだところから階段(一三段)となり、右出入口から階段までの中間に集札口ボックスが設置され、右階段を上ると南旅客通路(幅員約九、一五メートル)となり、右通路は天井のある屋内通路であつて、その左右に順次各ホーム(第一ないし第四)に通じる階段が設けられていることが認められる。

次に、学生集団が右旅客通路の集札口に至る階段上に到達する迄の警備配置をみるに、(本件においては片岡巡査の職務執行に関連し、その適否の判断に必要な限度においてみれば足る)、原判決は南集札口附近に機動隊第一大隊第一中隊のほか、同第二中隊も待機していたかの如く説示し、更に、南集札口に居た機動隊のみに限定しないで、単に機動隊と称している場合が多く、あたかも当日出動した全機動隊の警備配置であるかの如き誤解を生じかねない。しかし、〈証拠〉によれば、南集札口附近に待機せる機動隊は第一大隊の第一中隊のみであつて、同大隊第二中隊は駅前は広場に待機していたものである。右第一中隊は総員一二七名の警察官からなり、三小隊に分れ、前記南集札口の出入口の外側左かど(ホテルニューハカタ側)から左角柱にかけて第一、第二小隊、反対側の右かど(タクシー案内所側)から右角柱にかけて第三小隊が位置し、各小隊はそれぞれ建物の外壁に沿い三列縦隊となり、各小隊の前列が南旅客通路と平行し、概ね該通路の左端又は右端と左又は右角柱を見通す線上附近に位置する状態で整列し、なお、片岡巡査の属した第二小隊第三分隊は防石網要員として部隊前列の左翼につき、出入口の左かど附近に位置していたことが認められる。したがつて、右第一中隊は南集札口の建物外側に左右に分れて位置し、左右の部隊の間隔は約八メートル内外で、通路として開かれていたことが認められる。

これに対し学生集団は約三〇〇名といわれ、右学生らは第四ホームで数列の隊伍を組み、南旅客通路に降りて、右通路を放歌しながら勢いよく進み、南集札口の階段上に至つたのであるが、その先頭が右階段上に現われたとき、前記の如く出入口外両側に待機していた機動隊三個小隊(以下、単に機動隊という場合はこの機動隊を指称する)が強行突破に備えて、部隊の位置を移し、集札口の出入口に向つて正対するように、一たん横隊に転じたことが認められる。

しかして、原判決は右の如く正対して横隊になつたのは集札口であつて、一時その中央附近を開いたが、それも次第に埋められたと認定し、一たんは中央附近を通行できる程度の間隙を設けたが、その両側に立ち並んでいたと言い直し、更に、これを集札口前一杯に拡がり、かなりの層の厚さで密集して集札口前を埋めたと説示するので、結局横隊の密集隊形の状態には殆ど変動はなかつたとし、これを否定する供述証拠を現場写真に照し、ことごとく排斥する。

しかし、前記第一中隊の各小隊が移動し集札口に正対する隊形になつたのは、右集札口の外側軒下であつて、集札口に入つて密集したと認めるに足る証拠はなく、〈証拠〉によれば、集札口に正対するように部隊を移したが、これも学生らが南旅客通路階段上に停止し、一応強行突破されるおそれが少くないとみて、約一、二分位で、「さがれ」の号令で、もとの位置に戻したことが認められ、これと相容れないような供述証拠もあるが、これは措信するに足りない。

そこで、原審認定を支配したとみられる現場写真であるが、原判決の挙示する二宮昭雄及び田中大司の撮影せる写真は、いずれも同写真の通路天井の螢光灯や内壁等の状態からみて、明らかに集札口外の左右斜方向から、通路上に向けて、これを撮影したものであり、大写しになつている機動隊員の向きからみて、その直近の斜め背後から撮したものであること、二宮写真8は、集札口外左側から、同9ないし16は右側から撮し、田中写真8、10ないし12、14は集札口外側からそれぞれ撮影したものであつて、集札口の出入口正面は全く撮すことができなかつたものであることが認められる。

これに反し、鶴原初亀の撮影にかかる写真その1の⑰は南旅客通路から集札口の外側を撮した写真であつて、出入口の状況が正面がら写し出され、坂口一志の撮影せる写真ネガ番1の(小)4もこれと同じである。右各写真によれば、機動隊は明らかに集札口の外で、両側の前記角柱附近に、通路と平行し、その両側を延長した線より若干内側に出た部分もあるが、概ねこれに沿い集札口外で左右に向い合つて整列し、その中間には出迎への学生らが旗を持つて立ち、報導関係者ら多数が入りこんでいる状況であつて、明らかに中央部分は少なくとも数メートル以上の間隔を有し、集札口の出入口が開かれていることが優に認められる。なお、右写真で後方に見えるのは駅前広場に待機せる別の中隊であつて、集札口に待機していた機動隊でないことも仔細に見れば明らかであり、右広場の機動隊との間隔は写真の上では正確に認知しがたいけれども、被写体の大小、前掲検証の結果に明らかな広場の状況等を総合すれば、相当の距離を離隔しているものと認められ、これらが集札口又はその前を埋めたといわれる部隊でないことは明瞭である。

そこで、右鶴原及び坂口写真を、前記二宮及び田中写真と撮影時間を照応させながら対比するとき、右二宮、田中の写真における機動隊が出入口の正面ではなく、両側に相当に離れて位置しているものであることが推認される。殊に、坂口写真ネガ番1の4には大小二葉があつて、引伸写真はネガの密着焼付を拡大しこれを明確ならしめている写真と認められ、右写真では明らかに原審認定に反し集札口の出入口前が前示の如く開かれている状況を示しているものである。更に、当審証人二宮昭雄、同田中大司、同二場博文の各証言に現われる同人らの撮影位置及び方向を参酌するとき、右認定は動かし難いものである。

しかるに、原審は撮影角度や遠近感の不明瞭な写真の特質を十分考慮しても、集札口前を埋めていた当時の情景を彷彿させるものというのであるが、撮影角度や位置並びに遠近の状態等について、特に証拠調べをした形跡はなく、むしろ証拠に基づかない独断を示し、また、写真の特質を十分考え、各写真を相互に、又はこれと現実の建物や地形の状態等をそれぞれ対比し、仔細に吟味してみれば、前示の如き事実が看取されるのに、これら写真を単純に過信したものというのほかない。尤も、一部の証人のうちには、中央の開かれた部分は僅かに人が通れる程度にすぎなかつたと述べる者もあるが、それは開かれた中央部分に出入していた多数の報導関係者、出迎学生、一般通行者等をも含めた供述であり、これを私服によつて埋つていたという証言もあるが、私服は機動隊ではなく、それほど私服の警察官がいたとは認められず、私服というのは警察官や公安官以外の者であることが認められるので、採用の限りではない。

とくに、前示のとおり両側の小隊を一たん集札口外正面に展開したものの、すぐに、もとの位置に戻したことは否定しがたいところ、これを更に集札口前に横隊に密集せしめたという直接証拠は全くなく、かかる部隊移動又は隊形の変更は号令によつて至短時間に殆ど一挙に遂行されるものであるが漸次に埋つて行つたという原審認定は甚だしく理解し難いところである。

そうすると、前掲各証言をことごとく排斥したことは証拠の評価及び取捨選択を誤つたものというべきであり、南集札口前は学生らが通路階段上に到着した直後の二分間位の間を除き、機動隊の密集隊形によつて埋つた事実はなく、該集札口外の出入口に通ずる附近は十分に開かれ、且つこれによつて警備側において学生の退去を妨げない意思を示す状況にあつたと認めるのが相当である。

したがつて、機動隊が南集札口又はその前に密集して、これを埋めたことを前提とし、これにより学生らの退去を妨げたので、学生の滞留は違法ではなく、これを排除する行為は適法でないとする原判決は、右前提が認められず、退去を阻害するものがない限り、既にこれを支持することができないわけである。

しかし、なお仔細にみてゆくと、

原判決は一部学生の料金精算により集札口強行突破の危険は消褪したので、同集札口前を埋めるような警備隊形を維持する根拠はないというのであるから、その前提として、機動隊は右料金精算の前後を通じて該集札口を埋めていたとし、且つその目的は強行突破を阻止することにあつたとみているのである。しかし、右の前提事実が認められないことは前記説示のとおりである。すなわち、右集札口前附近が十分開かれていたことは否定できず、したがつて、右警備目的を強行突破の阻止のみに限定すること、特に該目的のみに照して、機動隊の行動を判断することも相当でない。右機動隊が駅構内において起り得べきその他の違法行為や紛争を予想しこれらに対する警備の必要も含めて出動していたことは証拠上明らかである。なるほど、学生らが隊伍を組み威勢よく階段上に姿を現わした時点では、集札口の強行突破のおそれが濃厚とみて、一たん集札口の出入口前に横隊に並べて強行突破に備えたことは否定できないが、学生集団が階段上で停止したので、閉鎖するほどのこともないとして、すぐに退去を妨げないように、もとの位置に戻し、通路を十分開いた状態で通路両側に整列したのであるから、警備側では強行突破の可能性を懸念しながらも、平穏な集札と退去を期待し、なお状況上予想されるその他の違法事態に対しても、即応し得るように集札口外両側に待機させたものと認められる。しかして、かような目的による警備の必要性は後記のとおり前記料金精算後と雖も依然として存したと認めなければならないので、右警戒配置は相当というべきである。

尤も、所論は原判決が全機動隊の警備目的を集札口の強行突破阻止のみに限定したとして、これを非難するのであるけれども、原判決は機動隊が集札口前を埋めたことを前提とし、これに対応すべき強行突破の阻止目的のみを取り上げたものであることは、「右以外の警備目的があつたかどうかはともかく」という説示にも現われ、その他の警備目的があつても、これは判断の対象としなかつたのである。しかしながら、原判決の如く強行突破の阻止目的のみに照して、機動隊の行動の適否又は必要性を判断することも、集札口前を埋めたという右前提事実が誤認である限り、既に妥当性がない。

次に、原判決は機動隊が南集札口前を埋めていたことを前提としてではあるが、学生らが一歩でも出れば何らかの理由で、その途端に逮捕されるのではないかと惧れたのも根拠のないものではないとしている。

しかし、機動隊が客観的に集札口を埋めていなかつたこと、つまり閉鎖隊形になかつたことは前示のとおりである。主観的にも、出て来る学生を逮捕する意図(必ずしも直接的ではなく、例えば学生を挑発して違法行為をなさしめた上で逮捕するなどの意図)があつたと認める証拠は何もない。むしろ、通路を十分開いていた状況からみて、平穏な退去を期待していたことが窺われ、結果的にも排除後放任されていることからみても、何もせず平穏に退去する学生を逮捕する意図があつたとは到底認められない。およそ、右機動隊の警備そのものをもつて不適法とするならば、右のような主観的又は客観的な事実が証明されなければならない。

証拠によれば、被告人ら学生らはいわゆる三派系全学連に所属し、米原子力空母エンタープライズの佐世保入港に対し、過激な反対運動を企図し、急行雲仙西海号により西下する途中、右の反対運動の拠点を九州大学教養部におくため、博多駅で下車したものである。既に、その出発にあたり東京都飯田橋駅に向う途中で、機動隊と衝突し、これを突破せる学生らが主力となり、列車でも車両の通路の扉を鎖して占拠し、検札にも応ぜず、途中の各駅から乗車せる学生らを加え三〇〇名以上となつたが、博多駅までの乗車券又は急行券を有しない者も相当数見込まれ、角材等を持ち込もうとするなどの不穏な情報も入手され、且つ当時三派系全学連の過激な行動によつて頻発していた不法事態や多くの反秩序的行動に徴し、博多駅において下車した場合、駅構内における不法事態又は紛争の発生が懸念されるに至つたものである。そのため、門鉄管理局長より福岡県警察本部長に対して、警察官による警備を要請し、駅及び警察が連携して警備していたもので、そのこと自体不当とすべきものでないことは原判決も是認するとおりである。したがつて、単に機動隊の前示の如き通路を十分開いた隊形で、南集札口外の両側に待機して警戒せる客観的状況を見ただけで、逮捕されるものと危惧した学生が仮にあつたとしても(原判決は飯田橋駅附近における機動隊との衝突の経験を危惧の原因として挙げるけれども、途中で乗車せる学生らにはその経験はない。これらの学生のなかにも車中で聞知し又は階段上でアジられて、仮に逮捕を危惧する者があつたとしても)、これは憂又は錯誤であつて、これによつて機動隊の右警備行動が違法又は不当となるものではなく、せいぜい個別的な不退去者側の責任阻却を主張すべき原因たり得るにすぎない。しかし、滞留行為の客観的違法性はこれにより影響されるものではない。たしかに、学生の眼前に警備隊形をさらして徒らに刺激することは、或る意味では拙劣な配置であつたかも知れない。しかし、拙劣であつたということを以て、直ちに違法又は不当ということはできない。また、南集札口外側附近を警備した機動隊の人数が一個中隊一二七名であつたことが、学生の数と質を考えるとき過剰であつたともいえないのである。

そうなると、右機動隊の警備を見ただけで逮捕されるものと誤解し又は錯覚して滞留した者が、仮にあつたとしても、滞留そのものの客観的違法性を阻却するものではなく、少くとも客観的に違法な滞留である限り、その排除行為を不適法ならしめるものではない。

むしろ、次に述べる学生らの行動や「機動隊道を開けろ」のみではなく、「機動隊帰れ」や更には「エンプラ寄港反対」というシュプレヒコールに象徴されるように、一部の者の単なる懸念などは集団心理的に変質し、全体としての学生集団は警備そのものにかこつけ、階段上から報導関係者その他の群衆を見下し、これに向つて集団的気勢を上げるに至つたものと認められないこともない。殊に、原裁判は学生集団をヘルメットをかぶつていることを除けば、正規の乗降客とさして異ることはないと認定して滞留中の行動にふれないが、これは原判決が強調するところの全体的状況に対し、殊更に眼を覆うものというべきである。右学生集団の先きに述べた如き出発時からの不穏とみられる動向、ホームから通路における集団的気勢、更に、右屋内通路を占拠したまま、スクラムを組み、シュプレヒコールを続け、集会(原審証人池上仁の供述記載によれば抗議集会という)をなし、演説し、更にデモに移るなど、その騒然たる状況は約四五分間にわたり続いたのである。かかる行動は、通常の乗降客の単なる滞留とはいえない。たとえ、警備の不当にかこつけても、公衆の用に供すべき駅舎内において、右の屋内通路における如き行動を積極的になす権利又は自由を有するものとは考えられず、まして、集札口を塞ぐような不当な警備ではなかつたとすれば、なお更らのことである。

次に、原審証人野中定次、同近藤佐賀男及び田中欽弥の各供述記載並びに当審証人深川種彦及び同山本一城の各供述によれば、同日午前六時五七分ごろから同七時二二分ごろ迄の間、マイクを通じて学生らに対して速かに退去すべきことを再三にわたり告げ、更に、ベニヤ板に新聞紙大の紙に「直ちに退去されたい」との警告文を記載して貼りつけ、これを掲げて持ち廻つて学生らに示したが、学生らにおいて、これに応ずる気配は依然としてなかつたことが認められ、右山本証人の供述及び坂口一志の撮影せる写真ネガ番2の(大)14、18ないし20によれば、右警告文を奪い取つて踏み破り、退去要求を拒否する意図を露骨に示していたことが認められる。なお、原判決に依れば、三〇名位の学生が料金精算をしたことを以て、強行突破の意思がないことを示し、その危険の著しく消失した状態と認定し、閉鎖的な警備を正当化する理由はないとするのであるけれども、集札口前は十分に開かれ、同出入口外の両側に整列しての警備隊形であつたことは前示のとおりである。しかも、右料金精算によつても、なお自発的退去の意思はみられず、強行突破の危険も全く消失したとは認められないので、右の如き程度の警戒態形の必要性は依然として存したと認めるのが相当である。すなわち、排除される以前に精算した者は三〇名位にすぎないので、精算を必要とした全員とは速断し難く、これらの者も再び集団のなかに戻つているので、警備側からみれば、警備の口実を塞ぐための陽動ともみられないこともなく、殊に、通路が十分開いているのに戻るのは、逆に自発的には退去しないことを示したものであり、また前示の如き騒然たる状況のなかで、興奮せる集団が急に分解し、各自摩擦なく集札に応じるものとは俄かに認められ難く、警備側では依然として集団突破の可能性、集札時の紛争や混乱を懸念して警戒を続けていたとしても、これを不当とは断じ難い。

進んで、排除行為の適法性について考察するに、前示の如く、学生らの自発的な退去を促し続けたのであるが、少しもこれを聞き入れず、約四五分間は無為に過ぎ、出勤のためのラッシュ時がいよいよ接迫してきたことが認められる。〈証拠〉に依れば、同日午前七時三〇分頃になつて、やむなく公安官の部隊で学生集団の後方から押し出しにかかつたが、学生らはスクラムを組み、逆に押し返すため、女子学生二〇名位を分離させたのみで、殆ど効果がなかつた。そこで、公安官の第五分隊を学生集団の前に出して誘導することとし、右分隊長の藤井恒雄が先頭となり、学生集団の横(竹下側の壁寄り)を摺り抜けるようにしながら通つて、前に出るべく五、六歩進んだとき、学生集団は掛声をかけながら、右廻りの渦巻きデモに移り、右藤井及び同人に続いていた広田義正はこれに巻き込まれたことが認められる。

原判決は、この点につき学生集団が掛声をかけながら右の方へ旋回し始めたとして、渦巻きデモを開始したことを認定しながら、公安官がこれに巻き込まれた事実を否定し、右事実に副う前掲証人前田、片岡及び中山の証言のみを取上げ、その各供述部分は坂口一志、大坪十四郎及び鶴原初亀の撮影せる各関係写真に照し、措信できないというのであるが、右坂口写真ネガ番1の(小)6は同人写真ネガ番1の(大)6と対比するとき、右渦巻デモ開始前の状況であり、大坪写真13、14のうち、右13の写真はなく、右14は学生らを排除後の警備状況であり、鶴原写真その2の11は学生らがスクラムを組み退去しようとしない状況であつて、これらが何故に右各証言の排斥理由となるか明らかでない。これに反し、前掲坂口写真ネガ番1の(大)6及び二場写真その1の⑬⑭並びに当審証人藤井恒雄及び同広田義正の各供述によれば、同人らが右渦巻デモに巻き込まれた事実は否定できないところである。尤も、原審においては右藤井及び広田の証言はなく、検察官においては巻き込まれた公安官の氏名はわからないと釈明し、甚だしく真実を疑わしめるものがあり、なるほど、前掲原審証人らは公安官が巻き込まれた事実を目撃したことを供述しているのであるが、当該公安官の氏名の如き調査すれば容易に判明すべき事実につき、検察官がわからないと答えたことからみて、右各証言の信用性に疑いを抱き、遂にこれを否定したのではないかと考えられる。そうだとすれば、かかる軽卒な立証態度にも責任がないとはいえない。

以上にみてきた如く、学生らは機動隊が警備しているのを認めるや、機動隊が帰らない限り出られないと言い張り、再三の退去要求を無視して滞留を続けたこと、のみならず右は単なる不退去状態ではなく、スクラムを組み、旅客通路を占拠した状態で、演説をなし、盛んにシュプレヒコールを以て気勢を上げ、右通路の機能を殆ど麻痺させ、且つ南集札口の業務を停止状態に陥れ、更に渦巻デモを起して公安官を巻き込む状況になつたのである。右の危険状況に至るまで、警察官は積極的介入を避けて待機し、自発的退去又は公安官のみによる退去の強制を見守つていたのであるが、公安官の実力行使にあたり、同部隊の隊長より援助要請があり、また排除行為中の公安官がデモに巻き込まれて危険状況を目前にして、遂に実力排除に取り掛つたものであることが認められる。

そうしてみれば、学生らの行動は不退去罪、鉄道営業法違反(三五条、四二条)とみられる違法な状態であり、他面、警察官職務執行法(五条)の要件を充足していると解されるので、右実力排除に移つたことをもつて、これが右の違法状態を除去するに必要な限度において、不適法ということはできない。しかして、その実力排除は渦巻状態の学生を売店側に圧迫して、その輪を圧縮すると共に運動を停止させた上、自発的に退去しない者を引張り出し、又は押し出して、これを順送りに集札口に向かわせたものであることは原判決の認定するとおりである。

ところで、証拠に現われた片岡巡査の行動を検討するに、同巡査は前記第一中隊第二小隊の第三分隊に属し、南集札口の出入口外左側に待機していたところ、「前へ」の号令で集札口に入つたものの、防石網掛りであつたため、手間取つて最後尾となり、圧縮部隊に入ることができず、通路階段上に上つたときは、既に圧縮行動が殆ど終り、これにより行動を制圧された学生らで、なお自発的に出ない者を順送りすることに従い、階段の最上段から約一メートル奥の通路中央よりやゝ北寄り附近に立ち、奥から出されてくる学生を誘導する操作をはじめ、約五、六名を送つたとき、不意に被告人から本件暴行を受けたというものであつて、右巡査の右職務の執行を不適法とすべきものは発見できない。

原判決は片岡巡査が具体的に如何なることをなしていたかも明らかにしないまま、その属する機動隊において、集札口を埋める行動があつたから、同巡査の職務執行も包括的に不適法というのであるが、右の包括的前提たる事実は是認できず、且つ同巡査の具体的行動は右にみるとおりであつて、その職務の執行を不適法ときめつけることはできない。

そうしてみれば、片岡巡査の職務執行の適法不適法の判断に関する限り、原判決は事実を誤認し、且つその法律的評価を誤つているものであつて、論旨は理由があり、答弁を参酌しても、原判決の右部分の理由は支持できない。

(二)、次に、片岡巡査に対する被告人の暴行の有無について考えてみる。

原判決は右暴行の事実に副う原審証人片岡照征、同中山政人及び同奥田信行の各証言を排斥する理由として(イ)圧縮直後の混乱した状況の下で、被告人が誰かを目指して小走りできるような空間的余裕はなかつたこと、(ロ)個人的な関係のない片岡巡査に頭突きをするというのは不自然、(ハ)すぐ逮捕され、目的の佐世保にも行けなくなることがわかつていた、(ニ)逮捕時における被告人の「何もやつていないぞ」の叫声を挙示し、結局「被告人が片岡巡査と接触したことは窺うことはできても、これをもつて直ちに暴行と断じ得るか構成要件該当性は極めて疑わしい」というのである。

そうすると、原判決は被告人が片岡巡査に接触したという点について、その限度において右証言をも措信するものである。しかし、接触という包括的概念を用いる限り、暴行的接触もそうでない接触も含まれる。前者であるが故意がないというのか、後者を指すのか必ずしも明らかでない。

しかしながら、原判決が暴行の事実(本件では頭突きと足蹴りであるが)を支持する証拠につき、理由を挙げてこれを排斥し、他方で構成要件的評価をなす点をみると、右の頭突き、足蹴りの事実を否定する意味で接触と表現し、つまり非暴行的接触と認定するものと解すべきであろう。そうなると、訴因たる頭突き、足蹴りの事実はなく、これと違つた接触の事実に認められるが、これは暴行の法概念にあたらないという趣旨に帰する。

しかし、証拠に現われたところによれば、被告人の所為が混雑していて触れ合つたという如きものではなく、暴行というに相当すべき外形を呈していたことを否定することはできない。ただ、これが故意行為であつたか否かが疑わしいのみである。すなわち、原判決は被告人が片岡巡査に接触した事実を認めるが、具体的にどのような接触であつたかを明らかにしない。しかしながら、原審及び当審証人片岡照征、原審証人中山政人及び同奥田信行の各証言並びに当審検証の結果を総合すれば、片岡巡査の胸部附近に対して被告人の頭が突き当つた外形事実は認めなければならない。

原判決はこれらの供述証拠を排斥する理由として、(イ)行動の空間的余裕がなかつたというのであるが、たしかに、現場はなお全体的には騒然として入り乱れていたかも知れない。しかし、既に学生らは売店側に圧縮され、デモ状態は殆ど制圧された後であつて、学生集団と排除警察官側との間がぎつしり詰つて密着状態にあつたわけではない。既に、自発的に出て行く者、又は引き出され若しくは押し出される者もあり、少なくとも順送りされるだけの空間的余裕は出来ていたのである。その間隙は人の動きと共に変化しても、被告人と片岡巡査の間に、二メートル前後の障碍のない間隙が行為の瞬間になかつたとは認められず、特に、暴行の場所は階段を上つたすぐの所であつて、より奥のより混雑したと思われる場所ではない。したがつて、被告人が頭突きをしようと思えば、その行動に要する程度の空間的余裕はあつたと認めて支障はない。

原判決の掲げる供述証拠及び現場写真のうち、供述証拠では順送りを始めた時点と被告人の居た場所を適確に示すものがなく、また右写真は学生を圧縮する前又は圧縮中のものが無差別に挙示され、そのうち順送りの排除中にして被告人の暴行又は逮捕の直前又は直後と目される写真は、二宮昭雄撮影の写真20ないし23と坂口一志撮影の写真ネガ番1の(大)10であり、これに依れば一見重り合つて全く間隙がないかのように写つているが、角度を異にする他の関係写真と対比してみるとき、重り合つて見える部分も現実に密着したものではなく、二メートル程度の間隙も該写真の上ではすつかり重り合つてみえることがわかる。特に、坂口写真ネガ番1の(大)10に依れば、階段を上つたすぐの附近(暴行の場所と目される位置)である限り、右の如き程度の空隙は十分存し得ることが認められる。

次に、原判決は前記各証言の排斥理由として、(ロ)被告人が無関係な片岡巡査を目指して頭突きをすることは不自然であるというが、これは必ずしも不当ではない。すなわち、片岡巡査が直接に被告人又は被告人の友人等を引出し、又は押し出したのであれば、同巡査に対して被告人が腹を立てて反撃することも考えられないわけではない。しかし、右の如き関係が少しも考えられない片岡巡査を特に選んで攻撃した理由は明らかでない。尤も、このことは片岡巡査に対する暴行の故意を否定し得ても、被告人が故意なく衝突した事実そのものまでも否定し得る程のものではない。原判決の挙げるその他の排斥理由(ハ、ニ)は、そのまま単純に措信し、目撃証言を否定するに足る性質のものとは考え難い。特に、人間の突嗟の暴力行動は殆ど情動に支配され、の理由のように合理化された後の行動と単純に同視することはできず、むしろこれと相容れない場合も少なくない。しかし、本件の場合、暴行の故意を否定する一つの情況証拠とみる限り、必ずしも無意味なものではない。

かくみてくれば、被告人が片岡巡査に対して、あたかも頭突きと思わせるような恰好で、衝突したことは否定できない。しかしながら、証拠に現われたところによれば、片岡巡査が立つていた位置から奥の方にかけて、通路上には機動隊員が大勢居て、排除行為をしていたことは明らかである。これに対して学生らのうち、自発的に出て来て階段に向う者もあり、反対に、なお退去することをしぶり、反抗する者もあつて、これらの者に対しては、引張り出し又は押し出していたものと認められる。殊に、被告人は過激又は積極分子の一人であつて、自ら出ることをしぶつたので、引張り出され又は押し出された者であつたと推認され、しかも、その状態は力に対する力の行使であつて、排除に必要な限度において、その強弱も相対的とならざるを得ない。したがつて、被告人が引き出され、又は押し出されたはずみに、一、二メートルの間をたたらを踏み、頭を下げたまま体が泳ぎ、周囲の者に思わず突き当ることも、あり得ないことではなく、むしろ、あり得ることである。特に、本件が殴打等の如く、外形だけからみても純然たる意思行為と認められるものであるならばともかく、頭から突き当るという特異な態勢であつて、手を掴んで引張り出され、又は肩を押されたはずみに、たたらを踏む状況と自ら符合し、非故意な衝突を思わしめるような態勢であつたことは否定できない。なお、本件訴因には被告人は足でも蹴つたというのであるが、頭突きした上で蹴るということは、態勢を立て直して改めて蹴ることとなり、殆ど瞬間的な出来事と思われる本件において、その余裕はなかつたと認められる。故に、蹴つたというのが事実とすれば、前記の如く、たたらを踏み、体が泳いであたかも頭突きのような状態で当つた際、足も同時に相手の足に当つたとみるのが自然である。

そうすると、被告人が奥から排除された際、たまたま、勢いあまつて体が泳ぎ、倒れかかるような恰好で、思わず片岡巡査の胸に頭を突き当て、同巡査の足をも踏みつけたと認められないことはない。たしかに、被告人が特定の警察官ではなく機動隊一般に対する憎悪から、故意に(暴行そのものの故意、更に職務執行を妨害する意識を伴う故意をもつて)頭突きをなし、又は押し出されたのを利用して、たたらを踏む振りをしながら頭突きをかました仕業ではないかとの嫌疑も濃厚であるけれども、他面、本件は状況上前示のように非故意な衝突ではなかつたかとの具体的な疑いを打消すことができない。

とくに、故意行為というべき点について、直接の証明はない。目撃証人と雖も、被告人の行動発起の時点で、頭突きすべく身構えて行動に移る状況そのものを目撃したのではなく、片岡巡査に突き当る直前又は直後の状況を見たというもののみであつて、単に、同巡査が後方によろめく程の強さで当つたので、わざと突き当つたのではないかという推測を述べているだけである。当審における事実の取調べ、特に提出された拡大写真によつても、この点を認めるに足りない。本件において、被告人の行動発起の時点における状況についての証拠があれば、その自供がなくても故意の有無につき明らかになし得るものと考えられないこともないが、現在においてはもはやかかる証拠を発見する見込みはない。

所論は、被告人が身を翻して階段下に逃れようとし、これが故意の暴行たることを推認せしめるかの如く主張するけれども、被告人は突き当つたといわれる地点から階段を数段降りたところ、距離にして二ないし三メートル弱行つたところで逮捕されているので、故意に頭突きをなしたため逃走していたのか、単に排除されるはづみに思わず衝突したが、そのまま退去のために階段を降りていたのか、必ずしも明らかでない。また逮捕直前の状況がたまたま異なる撮影者により異なる角度から写真にとられているのは、片岡巡査が被告人を指して「待て」と呼号しながら、追いかけたので、撮影者の注意が被告人に向けられて撮影されたにすぎないものであつて、これにより被告人が故意に暴行を加えたが故に、逮捕をおそれて逃走せるものとして、その故意行為たることを逆推するに足るものということはできない。

かくしてみれば、原判決のいう接触なるものは、頭からの衝突であつて、あたかも頭突きと思わせるような有形力が作用し、この外形的側面のみを見た場合、暴行的接触であつたと認められないことはないが、しかし、前記の如く、引張られ又は押されたはずみに、勢いあまつて、たたらを踏み、体が泳いで思わず衝突したのではないかという疑いを打消すことができないので、被告人が故意に暴行をなしたとの証明は十分でない。この点に関しては論旨は理由がない。

三、以上のとおりであるから、被告人が頭突き足蹴りの暴行により片岡巡査の職務執行を妨害したという本件において、右の如き暴行が故意になされたとの点についての証明がないこととなり、原判決と理由を異にするけれども、犯罪の証明がないとして被告人に対して無罪の言渡をなした原判決の結論は相当というべきである。

そこで、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。(藤田哲夫 平田勝雅 高井清次)

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